兼業主夫記

男児3人&ADHDの配偶者との日々

石を磨く

その朝聞こえてきた音は日常的なものだったが、風景は少々いびつだった。

「何してんの?」

私の問いに彼女は短く「石」とだけ答えた。

 

私は(「石?石がなんなんだ?」)と思ったが、彼女から「それ以上は答えるつもりも必要もない」という明確な意思を感じ取り、言葉には出さなかった。

 

石。そう、石だ。彼女は石を磨いている。あるいは削っている。河原で落ちているようなごくありふれた石を、どこから見つけてきたのかサンドペーパーで磨いている。それは見ればわかる。私は「なんのために石を磨いているのか?」を聞きたかったのだ。

 

彼女の短い答えで私の質問の真意は宙に消え、その間にも彼女は一心に石を磨き続けている。部屋には「シャリシャリシャリ」という、米を研ぐとも、大根を擦るとも、あるいは何かの野菜の皮を剥くとも聞こえる小気味良い音が響いていた。

 

彼女はその行動に関して私が納得できるような答えはくれそうになかったが、単に「石を磨く」という行為は特に害のあるものではないので、私は予定通り出掛けるしたくを始めた。その日は6歳の息子を博物館に連れていく約束だったのだ。

 

息子は特になんの感慨もなさそうに、石を磨く彼女を見ながらトーストをかじっている。

私は彼女の目の前にもトーストを置いた。生返事。手を付ける様子はない。トーストは石ではないのだ。

 

「じゃあ行ってきます。夕方には帰るから」

彼女は私と息子が出掛ける際も顔を上げず、石を磨き続けていた。そもそも今日の博物館は彼女も一緒に行くはずだったが、まるで最初からそんな予定はなかったかのような彼女に対して、私も特に何も言わなかった。

「いってらっしゃい、気をつけてね」

おそらくそう言っていたと思う。しかし「シャリシャリシャリ」という音は微塵もぶれることなく続いていたので、もしかすると何も言わずに黙々と石を磨き続けていたのかもしれない。トースト同様、我々も石ではないのだ。

 

博物館のベンチで昼食のおにぎりを食べている間も、私の頭の中では「シャリシャリシャリ」というあの石を磨く音が鳴り続けていた。

「ママもごはん食べてるかな?」という息子の問いかけに肯定しながらも、私は確信していた。トーストには手を付けず、彼女は今も石を磨き続けているだろう。

 

夕方、我々が帰宅すると部屋からは何の音も聞こえないようだった。

子供が私を見る。その瞳からは何の感情も読み取れない。

 

石を磨く彼女。

良く見ると、サンドペーパーが目の細かいものに変わっている。どうやら彼女の仕事はまだ終わっていないようだ。

 

時計の針はもうすぐ夕方5時を指そうとしていたが、その日は彼女が夕食を作る日だったので私はあえて食事のしたくをせず、テーブルの向かいで彼女が石を磨く様子を見ていた。息子はソファでいつの間にか眠っている。

 

朝私が置いたトーストは石の粉を被り輝いていた。もはや食べられるものではなかったが、それこそがトーストのあるべき姿にも思えた。

 

彼女の磨く石は手の中でほとんど見えないくらいに小さくなり、やがて手のひらから消えた。彼女の手と彼女の周りにはうっすらと石の粉が積もっている。

彼女はただ不思議そうな目で、かつて石だった、今では細かな粉末になってしまったものたちを見つめている。

 

開け放した窓から入った風が彼女の生んだ粉たちを跡形もなく消し去ると、彼女は黙って台所に立ち夕食のしたくを始めた。

 

彼女は石を磨くことについては結局何も語らなかったが、その後ろ姿はいつもよりも軽やかに見えた。息子も彼女をいつものように親密な目で見ている。

 

彼女にとっては必要な作業だったのだろう。

台所からは野菜を切る「シャリシャリシャリ」という音が聞こえていた。

 

(完)