エシャロット…ではない
日記
8:00起床。
本日は土曜だが子②の幼稚園があるため、子①にわかめごはんのおにぎりとインスタントの味噌汁、子②にお茶漬けを提供。
8:50に幼稚園へ徒歩で向かうが、正直かなり厳しい寒さ。30歳を過ぎた頃から、とにかく首が冷える。来週は"最強"寒波が来るらしい。今日より寒いとなると、マフラー1枚じゃ足りないかもしれん。
午後は配偶者と子①が歯医者。幼稚園の迎えから帰ると、そろそろ出発の用意をしていなければならない時間にも関わらず配偶者はふとんの中。バタバタと用意&おにぎりをこさえ、ギリギリの時間で送り出し成功。
子②とわたしは袋ラーメンを冷蔵庫にあったにんじん・キャベツで簡単に作りいただく。そういえばうちの祖父は「サッポロ一番」がやたらに好きで、子供の頃の土日はラーメン率が高かった。当時は「またかよ」と内心思っていたが、おかげで現在袋ラーメンを食べるたびに子供時代の自分とリンクできる。今となっては良い思い出だ。(存命)
子①の施術が終わるころを見計らい子②③を連れ歯医者のある池袋へ。
虫歯疑義のあった子①だが、疑義箇所は落ちなくなった汚れだったようで、「とてもきれいです」と褒められたらしい。余計なことは言わない職人肌の先生だから、きっと事実なんだろう。
我が家は配偶者の意識が高いため、歯科衛生に関するリテラシーは比較的高いと思う。
子①②は3年程前から毎晩の歯磨きの際にデンタルフロスをし、無香料のフッ素歯磨きも使用している。歯ブラシは普通のものだが、より小さい子用のヘッドが小さいものだ。もちろん朝の歯磨きもしているし、毎回必ずはできていないが何かを食べた後も極力歯磨きをしている。コロナ対策か、子①の小学校では給食後でも歯磨きNGなのが悔やまれる。コロナに限らず感染症対策はもちろん大事だが、日本の教育現場は歯科衛生に対する意識が低すぎるのでは?
夫婦もデンタルフロス、フッ素歯磨きを使っているし、奥歯用の超極小歯ブラシや舌ブラシも使っている。
しかし私はおととしの年末に虫歯を発症し、抜歯をしている。子供の頃から虫歯なぞなったことはなかったが、歳だな……いや、素直に認めよう。お菓子の食べ過ぎだ。完全に。20歳の頃と比べて20kg近く太ったし。
いくつかの変遷を経た歯ブラシについては、最近配偶者が見つけてきた「クラプロックス」というスイスのものを使っている。
毛が極細でやわらかく、本数が非常に多い。磨きごこちが気持ちよくて最高。日本人の歯は欧米人のそれと比べて表面のエナメル質が薄いと聞いたので、毛は柔らかい方がいいんだと思う。
今日の歯医者でも院長の推薦ブラシとして売られていたので、それなりに品質は担保されているんじゃなかろうか。ちょい高いけど、普通の歯ブラシよりも長持ちするらしい。
しかし、日本はいつになったら歯列矯正が健康保険適用になるんだろうか。歯並びってある種骨格の一部なんだから、見た目だけじゃなく健康面の影響もあると思うんだけど。
わたしも歯並びが悪く、頭痛がちなのは歯並びの影響もなくはないんじゃないかと思っている。子供の頃の我が家には矯正をやるようなお金はなかったと思うし、今もその余裕はない。子供たちのために矯正貯金をしなければ…。
歯医者後に少し南池袋公園で遊ばせる。ここにはシーソーがあるのだが、何せ子供の数が多いので常時大量の見知らぬ子供同士がギッタンバッタンやっている。体重のバランスが悪いと上手く交互に昇降しないので、周りの親が手伝いをすることになるのだが、このタイミングでけっこう見知らぬ親同士の会話が生まれる。うちの近所の石神井公園も子供が多い=親が多いのだが、知らない親同士が話をすることはあんまりないように思う。南池袋公園では以前からこういうことが多かったので、地域差なのかな。都心の人は心に余裕があるなぁ~。
遊具や丘型滑り台で遊ぶ子供たち、その隣で卓球をやる中学生、その周りでコーラスの練習をする大学生、ベンチでコンビニ弁当を食べる会社員、芝生で寝そべるカップル。改装前からは考えられないような風景だが、南池袋公園ならびに南池袋エリア、良いです。
夕食は塩麹に漬けておいた鶏ももと「アレッタ」という、ブロッコリーとケールの中間のような野菜を炒め、しめじ・ほうれんそう・油揚げの味噌汁を作り、子②の要望により子①②とともに目玉焼きを作った。うちにとってはなかなか豪勢な食事。
物珍しい野菜って、わくわくするよね。あんまり「好き」って人に会ったことはないけど、わたしはカリカリになるまで焼いた「エシャレット」(根らっきょう)が大好きです。
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石を磨く
その朝聞こえてきた音は日常的なものだったが、風景は少々いびつだった。
「何してんの?」
私の問いに彼女は短く「石」とだけ答えた。
私は(「石?石がなんなんだ?」)と思ったが、彼女から「それ以上は答えるつもりも必要もない」という明確な意思を感じ取り、言葉には出さなかった。
石。そう、石だ。彼女は石を磨いている。あるいは削っている。河原で落ちているようなごくありふれた石を、どこから見つけてきたのかサンドペーパーで磨いている。それは見ればわかる。私は「なんのために石を磨いているのか?」を聞きたかったのだ。
彼女の短い答えで私の質問の真意は宙に消え、その間にも彼女は一心に石を磨き続けている。部屋には「シャリシャリシャリ」という、米を研ぐとも、大根を擦るとも、あるいは何かの野菜の皮を剥くとも聞こえる小気味良い音が響いていた。
彼女はその行動に関して私が納得できるような答えはくれそうになかったが、単に「石を磨く」という行為は特に害のあるものではないので、私は予定通り出掛けるしたくを始めた。その日は6歳の息子を博物館に連れていく約束だったのだ。
息子は特になんの感慨もなさそうに、石を磨く彼女を見ながらトーストをかじっている。
私は彼女の目の前にもトーストを置いた。生返事。手を付ける様子はない。トーストは石ではないのだ。
「じゃあ行ってきます。夕方には帰るから」
彼女は私と息子が出掛ける際も顔を上げず、石を磨き続けていた。そもそも今日の博物館は彼女も一緒に行くはずだったが、まるで最初からそんな予定はなかったかのような彼女に対して、私も特に何も言わなかった。
「いってらっしゃい、気をつけてね」
おそらくそう言っていたと思う。しかし「シャリシャリシャリ」という音は微塵もぶれることなく続いていたので、もしかすると何も言わずに黙々と石を磨き続けていたのかもしれない。トースト同様、我々も石ではないのだ。
博物館のベンチで昼食のおにぎりを食べている間も、私の頭の中では「シャリシャリシャリ」というあの石を磨く音が鳴り続けていた。
「ママもごはん食べてるかな?」という息子の問いかけに肯定しながらも、私は確信していた。トーストには手を付けず、彼女は今も石を磨き続けているだろう。
夕方、我々が帰宅すると部屋からは何の音も聞こえないようだった。
子供が私を見る。その瞳からは何の感情も読み取れない。
石を磨く彼女。
良く見ると、サンドペーパーが目の細かいものに変わっている。どうやら彼女の仕事はまだ終わっていないようだ。
時計の針はもうすぐ夕方5時を指そうとしていたが、その日は彼女が夕食を作る日だったので私はあえて食事のしたくをせず、テーブルの向かいで彼女が石を磨く様子を見ていた。息子はソファでいつの間にか眠っている。
朝私が置いたトーストは石の粉を被り輝いていた。もはや食べられるものではなかったが、それこそがトーストのあるべき姿にも思えた。
彼女の磨く石は手の中でほとんど見えないくらいに小さくなり、やがて手のひらから消えた。彼女の手と彼女の周りにはうっすらと石の粉が積もっている。
彼女はただ不思議そうな目で、かつて石だった、今では細かな粉末になってしまったものたちを見つめている。
開け放した窓から入った風が彼女の生んだ粉たちを跡形もなく消し去ると、彼女は黙って台所に立ち夕食のしたくを始めた。
彼女は石を磨くことについては結局何も語らなかったが、その後ろ姿はいつもよりも軽やかに見えた。息子も彼女をいつものように親密な目で見ている。
彼女にとっては必要な作業だったのだろう。
台所からは野菜を切る「シャリシャリシャリ」という音が聞こえていた。
(完)
ミーアキャット居すぎキモイ
タイトルは『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』を観ている時の子②の反応。
本日は予定なしの完全休日。子②の体調がいまいちなこともあり、前日の時点で「日曜はどこにも行かない!俺は疲れたからダラダラする!君たちもそうしろ!」と宣言。見事貴重なダラダラDAYを手に入れた。いきなりだと「公園行きたかったー」とかブー垂れるが、事前に申告しておくと子供も素直に応じてくれる。
各自の朝食と昼食は適当にダラダラと済ませ、おやつはいただきもののサツマイモをレンジでふかし(水洗い後適当な大きさに切ってキッチンペーパーに包み丸ごと濡らす。その上からラップで包み低温(うちのレンジだと200W)で15~20分チンすると、良い感じに甘みが出てほっこり食感になる)みんなでダラダラと食べ、おやつが済んだらだらんと子③の横に寝転んで子①に借りたマンガの『ドラえもん のび太と銀河超特急』(「なんか大長編ドラえもんのマンガ読みたいな~宇宙ものがいい」とリクエストしたら出してきてくれた)を読み、いつの間にか集まってきていた子①②とともに少し昼寝。
その間配偶者は仕事をしてくれていたようだ。いつもありがとうございます。
起床後、ダラダラと夕食作り。
冷蔵庫にあったネギと人参で雑炊を作り、ほうれん草を茹でて軽く絞り、マヨ・すりごま・てんさい糖・醤油・味噌・かつお節で和える。和え物は子②の弁当用に小分けにして冷凍。残った分を夕食でサザエさんを観ながらいただいた。サザエさんって作品内の文化があまりにも現代日本と掛け離れ過ぎてて、もはやファンタジーどころかグロテスクにすら感じる。多少はアップデートもしてるんだろうけど、そろそろ子供たちの文化形成に混乱を生じさせるんでは…?と思ってしまう。
ところで、子供が本棚から「これがいい」と持ってきた映画のblu-rayが『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』。
この映画、タイトルとあらすじだけ見るとちょっとファミリー映画っぽい冒険譚に思えるが、テーマは宗教/あるいは信仰。また、迫力がありすぎる貨物船の沈没シーンや、容赦ない弱肉強食の社会も描かれていて、実は結構…というかかなり大人向けの映画。
何年おきかに観返しているが、その度に違う感想を抱く。こういう作品は自分の成長を確認する指標にもなるので、できるだけフィジカルで所有し続けるようにしている。
この映画の良く出来ているところは、そんな内容でありながらあらすじの印象通りの冒険譚として軽く観ることもできるところだ。
おそらくうちの8歳と6歳の子供たちも単純に楽しんでいたと思う。
たぶんところどころ意味がわからないシーンもあったと思うが、映像の美しさやリアルな動物たちのCGで惹きつけられ、全編飽きずに観ていた。
映画を観る時は基本的に自分が好きなものを一緒に観るようにしている。もちろん2人ともまだ幼いので、トラウマになったり間違ったメッセージを受け取りかねないような作品は避けているが、大人向けも子供向けも考慮しない。(もちろんキッズムービーも観る)
大人向けのものを観ていると要所要所で「これ何ー?」とか「どういう意味?」と訊かれる。答えられるものは答えるし、わからないものは素直にわからないと言って、後で一緒に調べたり考えたりする。
子供だからといって対象年齢通りのものしか与えないのは、成長の機会を奪うと思う。子供に見せるだけ見せてフォローをしないのは間違った情報を植え付けかねないし、意味がわからないと単純に子供も楽しめないと思うので良くないが、大人とコミュニケーションをとりながら一緒に観るのは知識や考え方も得られ、また「親でもわからないことがあるんだ」という広い世界を知らしめることになると思っている。
そんなこんなで、今後も色々な映画を子供たちと観ていきたいと思う。次は何を観ようかな。
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人力自転車
日記
本日は土曜だが子①が月イチの土曜授業&授業参観日。
いつもは私が観に行くのだが、今日は配偶者が「4時間目?なら行く」とのことでバトンタッチ。(配偶者は朝にめちゃくちゃ弱い)
午後は予定があり忙しいことが想定されたので、子①を送り出したあと急いで子②の朝食、洗濯、掃除を済ませ自転車で少し遠い(3km強)業務スーパーへ。
うちの自転車は電動ではなく人力。6年程使っている普通のママチャリに後付けで子供を座らせる座席を設置したもの。
我が町は大きな公園があることもあり、ファミリー層が多い。今どきのママさん達は当然みんな電動自転車なのだが、あれ、結構高い(たいてい15万前後する)。なのでうちは未だに脚でこいでいる。
子連れの自転車はかなり重く、金銭的余裕があればどう考えても電動にすべきと私でも思うので、子供を乗せた人力自転車はかなりマイノリティ。
もしかしたら陰で子供たちに「あの人なんで大人なのに人力の自転車なのかなー?」とか言われてるのかもな…
思わないか、そんなこと。
業務スーパーでは細々したものの他に米を買った。業務用、13kg。これを自転車の後部座席に積む。そして私は現在約75kg。ごめんよ自転車。ごめんよ脚。
いつか電動自転車がもっと安くなりあたりまえになって、今の自転車が「人力自転車」なんて呼ばれる日が来るのだろうか…そしたらうちも買えるかな。
ちなみに10:50に家を出発するスケジュールだった授業参観、配偶者はその時間でも起きられなかった模様で急遽私が行きました。楽しかったです。
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排除!排除!おまえも排除!
日記+読書感想文
7:19起床。
いつものルーティーンで子①の送り出しと子②の支度を済ませる。
今日は配偶者が幼稚園に所用があるためそのまま送りをお願いしたが、例によって起こすのに苦労した。
ADHDの特性かは不明だが、配偶者はもともと朝が非常に弱い。モードがなかなか切り替わらないため、時間が決まっている外出でなければ起こし始めてから家を出るまで2時間は掛かる。
今は更に赤ん坊がおり、彼は夜泣きではないもののやたらおしっこに敏感なので多い時は1時間おきにおむつ交換を要求し泣く。本当は授乳が出来ない分おむつ替えくらいしたいのだが、どれだけ赤ん坊が泣いても私は目を覚さないらしい。(配偶者曰く「長男の時からそうだった」とのこと。逆に大丈夫か?)
そんな事もあり、かなり頑張って配偶者を起こし朝ごはんにみそおにぎりを食べさせ2人を送り出す。
ひと通りの掃除•洗濯を済ませ食材の買い出しへ。
途中の書店で母に頼まれていたジャニーズWESTが表紙の雑誌を発見し購入。
彼女はもうすぐ還暦だが、半年程前から突然このグループにハマった。父とはコミュニケーションブレイクダウン気味で、息子もこの無愛想。たまに会う孫たちだけが楽しみだったので、日常を共に過ごせる楽しみが欲しかったのかな。好きなものがあるのは良い事だと思います。
買物帰りに行きつけのミスドへ。金欠故しばらくご無沙汰だったのだが、貧乏を見かねて叔母が"わたしに"ドーナツチケットをくれたのでありがたく使わせてもらう。
子③はエルゴの中で大人しく寝てくれていたので、ドーナツ1個とおかわりコーヒーで久々にゆっくりと読書が出来た。
そこで読んだのが少し前に購入していた建築理論研究者の五十嵐太郎氏著、『誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論』(岩波ブックレット)。
いつからかあたりまえになった肘掛け/仕切り付のベンチ。単にプライベートスペース確保の要望が高まったが故のものかと思っていたが、そもそもの目的は「ホームレスが寝られないように」付け足されたものと知る。すべてがそうだとは思わないが(思いたくないが)、言われてみれば街中には「ちょっと腰掛けるにはいいが、長時間休んだり横になることはできない」デザインのベンチや椅子がたくさんある。
細いポールで構成されていたり、斜めカットだったり、球体だったり、やたら小さかったり…。
また、元々ホームレスが寝泊まりしていた場所を花壇にしたりオブジェを設置して居場所を無くすケースも多いらしい。
意識して見てみると今まで「なんかあるな」とか「変わったデザインだな。オシャレなのかな」と思っていたものの見え方が180°ひっくり返り、目の前の風景がいっきにディストピア化する。
個人的に以前から気になっていた、お店や駅の軒先に設置されている鳩除けのトゲトゲ(勝手に「街中のへヴィメタル」と呼んでいる)と同じ排他性を感じる。
確かにフンの掃除は大変だろうし衛生的な観点もあるけど、平和の象徴たる鳩をそんなに大量のトゲトゲで排除しなくても…と思ってしまう。今までその場所にいた鳩たちは何処へ行くんだろう?あれ結構すごいので、見たことない方はお店の軒先など注目してみてください。
ちなみに上記のような排除アートは日本に先駆けて欧米でその発生が確認されているらしい。ホームレスを「自分たちとは違う異質な人種」として排除するのは島国・ムラ社会国家たる日本独自の気質かと思っていたが、それだけでもないようだ。
ここまで読んで「俺はホームレスじゃないから関係ない」と思ってる人もいるかもしれないが、彼ら彼女らだって産まれた時から路上生活をしていた訳ではない。誰でも何かのきっかけで居所を失う可能性はある。
また、自分は子育てをしているのでよく感じるが、日本はあまりにも街中に休める場所が少ない。
赤ん坊を抱え大量の荷物を持って移動するのは疲れる。上の子たちも赤ん坊に比べれば大きいが、まだ8歳と6歳だ。歩いていれば疲れる。
「疲れたからちょっと座って休もうか」とか「暑いからちょっと木陰で座って休もうか」と思ってもそこにベンチがあることは少ない。いちいち喫茶店に入れというのか?子供を連れて?何も注文せず、子供が騒いでも誰も文句を言わないならそうするけどね。金銭的にも現実的じゃない。
高齢者やケガ/持病のある人、元気だけどちょっと疲れた人、みんな同じでは?
金を払わないと座ることもできないのか?
とにかくこの社会はお金を落とさないで一箇所に留まることを許さない世界になりつつあるようだ。
健康でも突発的に体調を崩したり、熱中症で気分が悪くなることもある。しかしそこに休める場所はない。ベンチがあっても仕切りがあって横になることは許されない。
ホームレスに居て欲しくないなら排除しても仕方ない。その存在が消える訳ではなく、何処か他の場所に移動するだけなのだから。くだらない設備に何十万円も何百万円も掛けるくらいなら、ホームレスがホームレスじゃなくなるよう支援すればいいのに。
著者がこの本で書いているように、誰かに優しくない場所は誰にとっても優しくない社会になり得るのだ。
そんなこともわからないで何がダイバーシティだ、SDG'sだ、と思ってしまう。せっかく日本は議会制民主主義なんだから、社会に生きる我々を排除するような為政者は選ばないようにしたいですね。
(発展して、「公園禁止事項多過ぎ」とか「外国人居づら過ぎ」とかも思ったけど、キリがないのでこの辺で。
自宅に戻ってからは、前夜の残りを配偶者に昼食として提供し子③を抱いて子②の迎え→公園で少し遊ばせそのまま習い事の野球へ。
なんで日本のアマチュア野球って砂埃まき散らすようなグラウンドでやるんですかね。「"草"野球」とかって言うんだから芝生にして欲しいわ。ユニフォームの洗濯が大変。毎週がんばってうたまろ石鹸で手洗いしてます。(同じチームのアメリカ人お父さんも「The blue one」で洗ってる(うたまろは青い固形石鹸)と言っていてちょっとウケる)
まぁ管理とコストの問題なんだろうけどさ。
野球の間、今日もホームベーカリーでパンを焼く。
先日作った米粉100%パンがちょっと固かったので、今日は米粉と強力粉を50:50にして作ってみた。甘さをプラスするために甘酒も加えてみた。
かなり美味い!かなり美味いけど、限りなく普通のパンに近い。先日の米粉パンも味は好きだったので、次回は米粉と強力粉を80:20くらいで試してみよう。
晩ごはんはきのこの酒蒸し。
舞茸、エノキ、しめじ。たぶん。
もういい歳の筈だけど、きのこってどれがどれだか未だに覚えられない。
子供たちには缶詰の焼き鳥もサービス。犬の餌みたいな味がするけど、これはこれで。
子①の宿題である九九の暗唱がやや難航。字面で書けばすらすら出来るのだが、声に出すと混乱するらしい。これはやっぱり反復で覚えるしかないのかな。今後の人生で使いそうもないものだったら正直「適当でいいよ」って言っちゃう太刀なのだが、(例えば小学2年生で習う「dl(デシリットル)」の存在とか)残念ながら九九は大人になっても日常生活でめちゃくちゃ使うので、少し頑張ってもらおう。
もろもろ家事を済ませ今は0:17。明日も子①は学校なので朝の支度がある。そろそろ寝よう。おやすみなさい。
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鏡開き
日記
7:12起床。
子①はここ最近「寒くて起きられない~」と布団からなかなか出てこない。最近まで『冬の朝は寒い』ということに気が付いていなかったらしい。
子①を登校班へ送り、子②を幼稚園へ送り、育休中の副業としてやろうと思っているポスティングのオンライン説明会に参加。単価は当然安いが、もともと散歩はしているので運動がてら少しやってみようと思う。お金ないし。
中途半端に残っていたそうめんを子②にお昼ごはんとして出し、翌日からのお弁当開始に備えて切り干し大根を煮る。いつもひじきとかほうれん草の白あえとかを作った時はお弁当用に小分け冷凍している。便利。
晩ごはん用に先日業務スーパーで買った鶏むね肉(国産が2kgで¥980!安い!)を
塩麹にまぶして冷蔵庫へ。美味しくなるし肉も柔らかくなるし、麹はえらいなぁ。
その冷蔵庫で若干賞味期限の過ぎた米粉を1kgも発見したので、ホームベーカリーで米粉パンを焼く。完全グルテンフリーで試したが、ちゃんとふっくらするのか…?
子①の空手の稽古の送り迎えをし、下ごしらえをしていた肉を焼く。切り干し大根と配偶者が作ってくれた白菜と舞茸の煮物とともに晩ごはん。その後、子③と風呂に。今回は初めて「新生児のうちから顔に水が掛かることにシャワーで慣れさせる」を試している。2回で慣れた。これでプールも安心だ。
夜のおやつに例の米粉パンを試す。
表面:硬い。臭いも餅みたいだ。失敗か…?
軽くチンする。今まで嗅いだことのない、でも間違いなく良い匂い…!
手でちぎる…ふんわりやわらかい!
そして口へ…
美味い!ちゃんとパンっぽい香りが口に広がる!後味はなんだろう…パンでも米でもない何か未体験ゾーンの味…でも悪くない。
少し塩気があった方がいいな…オリーブオイルと岩塩だ!……美味い!かなり美味い!
ということで何とか成功。
今回は、
でやったけど、次は少し塩を足そう。あと、素直に小麦粉も少し混ぜようかな…
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コスパ主義
子育ては不条理•不合理の連続である。
これはもう受け入れるしかない。
わたしは男なので自分が体験をしている訳ではないが、妊娠中の体調不良や不快感、出産の痛みなんて不条理の極みだと思う。正直、「もうちょっと上手いこと進化できなかったの??」と思ってしまう。(月経というものに関しても思う)
子供が産まれた後も、「寝ない」「何をやっても泣き止まない」「1時間掛けて寝かしつけても2分で起きる」「母乳が出ない」「母乳が出過ぎて張って痛い」「ミルクを飲まない」「オムツを変えた直後にうんちをする」「出掛ける直前にうんちをする」「ベビーカーが通れない」等々、挙げ出したらキリがない。
しかもそれらすべて、納得出来る理由を赤ん坊は提示してくれない。「そういうものだ」と受け入れるしかないのだ。(ベビーカー云々は社会課題なので受け入れません。理解と改善を求めます。街中で不便を感じた親御さん方、都度発信して。設計する側はこの苦労を知らないんです)
助産師さんによると、最近の親御さんは色々考えすぎちゃって「なんで?どうして泣き止んでくれないの?」と思い悩んでしまうらしい。
うちは今回3人目なのでそんなもんだと軽くながしてやっているが、やはり1人目の時は戸惑い、辛かった。
子育てをする上での困りごとはもちろん可能な限り最善を考えて試行錯誤するべきだが、何をどうやってもダメなものはダメなのである。大人ごときが知恵を働かせても動物たる赤ん坊に敵う訳はない。
育児に「コスパ」「タイパ」は通用しないのだ。
諦め、受け入れ、その大変さも含めて楽しもう、と思い込もう。
(※2023/1/1の日記を2023/1/12に転記)