排除!排除!おまえも排除!
日記+読書感想文
7:19起床。
いつものルーティーンで子①の送り出しと子②の支度を済ませる。
今日は配偶者が幼稚園に所用があるためそのまま送りをお願いしたが、例によって起こすのに苦労した。
ADHDの特性かは不明だが、配偶者はもともと朝が非常に弱い。モードがなかなか切り替わらないため、時間が決まっている外出でなければ起こし始めてから家を出るまで2時間は掛かる。
今は更に赤ん坊がおり、彼は夜泣きではないもののやたらおしっこに敏感なので多い時は1時間おきにおむつ交換を要求し泣く。本当は授乳が出来ない分おむつ替えくらいしたいのだが、どれだけ赤ん坊が泣いても私は目を覚さないらしい。(配偶者曰く「長男の時からそうだった」とのこと。逆に大丈夫か?)
そんな事もあり、かなり頑張って配偶者を起こし朝ごはんにみそおにぎりを食べさせ2人を送り出す。
ひと通りの掃除•洗濯を済ませ食材の買い出しへ。
途中の書店で母に頼まれていたジャニーズWESTが表紙の雑誌を発見し購入。
彼女はもうすぐ還暦だが、半年程前から突然このグループにハマった。父とはコミュニケーションブレイクダウン気味で、息子もこの無愛想。たまに会う孫たちだけが楽しみだったので、日常を共に過ごせる楽しみが欲しかったのかな。好きなものがあるのは良い事だと思います。
買物帰りに行きつけのミスドへ。金欠故しばらくご無沙汰だったのだが、貧乏を見かねて叔母が"わたしに"ドーナツチケットをくれたのでありがたく使わせてもらう。
子③はエルゴの中で大人しく寝てくれていたので、ドーナツ1個とおかわりコーヒーで久々にゆっくりと読書が出来た。
そこで読んだのが少し前に購入していた建築理論研究者の五十嵐太郎氏著、『誰のための排除アート? 不寛容と自己責任論』(岩波ブックレット)。
いつからかあたりまえになった肘掛け/仕切り付のベンチ。単にプライベートスペース確保の要望が高まったが故のものかと思っていたが、そもそもの目的は「ホームレスが寝られないように」付け足されたものと知る。すべてがそうだとは思わないが(思いたくないが)、言われてみれば街中には「ちょっと腰掛けるにはいいが、長時間休んだり横になることはできない」デザインのベンチや椅子がたくさんある。
細いポールで構成されていたり、斜めカットだったり、球体だったり、やたら小さかったり…。
また、元々ホームレスが寝泊まりしていた場所を花壇にしたりオブジェを設置して居場所を無くすケースも多いらしい。
意識して見てみると今まで「なんかあるな」とか「変わったデザインだな。オシャレなのかな」と思っていたものの見え方が180°ひっくり返り、目の前の風景がいっきにディストピア化する。
個人的に以前から気になっていた、お店や駅の軒先に設置されている鳩除けのトゲトゲ(勝手に「街中のへヴィメタル」と呼んでいる)と同じ排他性を感じる。
確かにフンの掃除は大変だろうし衛生的な観点もあるけど、平和の象徴たる鳩をそんなに大量のトゲトゲで排除しなくても…と思ってしまう。今までその場所にいた鳩たちは何処へ行くんだろう?あれ結構すごいので、見たことない方はお店の軒先など注目してみてください。
ちなみに上記のような排除アートは日本に先駆けて欧米でその発生が確認されているらしい。ホームレスを「自分たちとは違う異質な人種」として排除するのは島国・ムラ社会国家たる日本独自の気質かと思っていたが、それだけでもないようだ。
ここまで読んで「俺はホームレスじゃないから関係ない」と思ってる人もいるかもしれないが、彼ら彼女らだって産まれた時から路上生活をしていた訳ではない。誰でも何かのきっかけで居所を失う可能性はある。
また、自分は子育てをしているのでよく感じるが、日本はあまりにも街中に休める場所が少ない。
赤ん坊を抱え大量の荷物を持って移動するのは疲れる。上の子たちも赤ん坊に比べれば大きいが、まだ8歳と6歳だ。歩いていれば疲れる。
「疲れたからちょっと座って休もうか」とか「暑いからちょっと木陰で座って休もうか」と思ってもそこにベンチがあることは少ない。いちいち喫茶店に入れというのか?子供を連れて?何も注文せず、子供が騒いでも誰も文句を言わないならそうするけどね。金銭的にも現実的じゃない。
高齢者やケガ/持病のある人、元気だけどちょっと疲れた人、みんな同じでは?
金を払わないと座ることもできないのか?
とにかくこの社会はお金を落とさないで一箇所に留まることを許さない世界になりつつあるようだ。
健康でも突発的に体調を崩したり、熱中症で気分が悪くなることもある。しかしそこに休める場所はない。ベンチがあっても仕切りがあって横になることは許されない。
ホームレスに居て欲しくないなら排除しても仕方ない。その存在が消える訳ではなく、何処か他の場所に移動するだけなのだから。くだらない設備に何十万円も何百万円も掛けるくらいなら、ホームレスがホームレスじゃなくなるよう支援すればいいのに。
著者がこの本で書いているように、誰かに優しくない場所は誰にとっても優しくない社会になり得るのだ。
そんなこともわからないで何がダイバーシティだ、SDG'sだ、と思ってしまう。せっかく日本は議会制民主主義なんだから、社会に生きる我々を排除するような為政者は選ばないようにしたいですね。
(発展して、「公園禁止事項多過ぎ」とか「外国人居づら過ぎ」とかも思ったけど、キリがないのでこの辺で。
自宅に戻ってからは、前夜の残りを配偶者に昼食として提供し子③を抱いて子②の迎え→公園で少し遊ばせそのまま習い事の野球へ。
なんで日本のアマチュア野球って砂埃まき散らすようなグラウンドでやるんですかね。「"草"野球」とかって言うんだから芝生にして欲しいわ。ユニフォームの洗濯が大変。毎週がんばってうたまろ石鹸で手洗いしてます。(同じチームのアメリカ人お父さんも「The blue one」で洗ってる(うたまろは青い固形石鹸)と言っていてちょっとウケる)
まぁ管理とコストの問題なんだろうけどさ。
野球の間、今日もホームベーカリーでパンを焼く。
先日作った米粉100%パンがちょっと固かったので、今日は米粉と強力粉を50:50にして作ってみた。甘さをプラスするために甘酒も加えてみた。
かなり美味い!かなり美味いけど、限りなく普通のパンに近い。先日の米粉パンも味は好きだったので、次回は米粉と強力粉を80:20くらいで試してみよう。
晩ごはんはきのこの酒蒸し。
舞茸、エノキ、しめじ。たぶん。
もういい歳の筈だけど、きのこってどれがどれだか未だに覚えられない。
子供たちには缶詰の焼き鳥もサービス。犬の餌みたいな味がするけど、これはこれで。
子①の宿題である九九の暗唱がやや難航。字面で書けばすらすら出来るのだが、声に出すと混乱するらしい。これはやっぱり反復で覚えるしかないのかな。今後の人生で使いそうもないものだったら正直「適当でいいよ」って言っちゃう太刀なのだが、(例えば小学2年生で習う「dl(デシリットル)」の存在とか)残念ながら九九は大人になっても日常生活でめちゃくちゃ使うので、少し頑張ってもらおう。
もろもろ家事を済ませ今は0:17。明日も子①は学校なので朝の支度がある。そろそろ寝よう。おやすみなさい。
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